ずりずり(体を引きずる音)

雑な語りをしていくスタイル

山怖かった

運動不足が不調の原因のようなので、手始めに散歩を始めました。

 

あまり人に見られたくなかったので、ほとんど誰も通らないような山道を歩くことにしました。家の周りは山に囲まれているので、山には苦労しませんでした。しばらく進むと開けた部分に出ました。ここは昔切り開かれた土地らしく、眺めはなかなかいいです。しかし周りには誰もいません。というか人家がありません。僕一人です。田舎どころの話ではありません。

 

実はフルートを担いできてまして、休憩がてらフルートの練習をしました。フルートと言ってもプラスチック製のものです。安くて軽くて音が安定しにくいです。このフルートで鑑賞にたえる演奏をするにはそれなりの技術が必要だと思います。ですが今のところ誰かに演奏を聞かせる予定はありませんし、僕の出す音を聞く人もいないので、気にしません。また、プラスチック製ゆえにほぼメンテナンスフリーなので、屋外での使用もへっちゃらです(たぶん)。

 

基礎練習を少しと、思いついた曲のメロディをなんとなく吹いていました。休憩がてらとは言いましたが、フルートで音を出すには結構な息の量が必要なので、なかなかハードです。あまり休憩になりませんでした。

 

そうこうしているうちに暗くなってきたので、帰り支度を始めました。帰りは下り坂で楽ちんです。しかし、体力的にはたぶん問題ないのですが、他の外的な要因としての問題はありました。なかなかに重大な問題です。つまり、この辺りには街灯が一つもないということです。いえ、何しろここは山の中ですから仕方のないことではあります。ほとんど誰も通らない山道にわざわざ街灯を設置するなんて無駄遣いもいいところですし、そもそも街灯というからにはきっと街中にしかないものなのでしょう。ついつい遅くまで居残ってしまったことを後悔しました。

 

山の夜道は暗くて怖いです。今日は曇りなので月明かりも星明かりもありません。周りは辛うじて明るさを保っていますが、それでもかなり暗いです。頭上を覆っている森が空を隠すのです。光は木々の間を漏れるようにしか届きません。

 

山を下りながら僕は、山や森の暗さの特異性を感じていました。それは何かの意思を持ったような暗さであるように思えました。それは僕が身一つで自然の中に放り出されでいることに起因しているのかもしれません。少なくとも、家中の明かりをすべて消して真っ暗にした、という暗さとは、また別の暗さです。

 

空はまだ一応明るいです。道もちゃんと見えますし、懐中電灯だってあります。しかし道の際に茂っている背の高い草や木々は、真っ黒です。本当に塗りつぶされたように真っ黒なのです。そこだけ世界がぽっかりと欠けていて、近づくと飲み込まれてしまうのではないかと不安になるくらいに真っ黒でした。怖くなって懐中電灯で照らしてみたりもしました。闇は即座に払われ、そこにちゃんと草むらがあって、木々があって、森が続いているのが確認できます。世界が欠けてるなんてことはありえないのです。当たり前のことです。ですが僕には、その光景がまるで、懐中電灯が欠けた世界を一瞬で修復したかのように見えました。それはちょっとした体験でした。何しろ光あれと懐中電灯をかざすと世界が現れたのです。まあ百均で買える世界なんですが、それでもびっくりぽんです。

 

他にも怖いものはありました。山と麓の中間あたりに少し開けたところがありまして、そこには打ち捨てられた車や木材やゴミなどが散逸しています。昼間だったら特に思うところはないのですが、今くらい暗くなってしまうと、ちょっと事情が違ってきます。僕にはその車や木材やゴミが、闇の中に潜む恐ろしい存在であるように見えてしまったのです。中途半端に光が届いてしまっていて、シルエットがなんとなく分かってしまうのが余計に怖いです。遠くからはよく分からない獣の遠吠えが聞こえてきます。かなり不気味です。もしこんな状況で笛の音色が聞こえてきたりすると本当に怖すぎてやばいです。

 

しかし、恐ろしいものだけではなく、いくつかの素敵なものも見ることができました。たとえば、一つ向こうの山の空が、ほのかにオレンジ色に染まっているのが見えました。まるで山の稜線がぼんやりと発光しているみたいな光り方でした。それは何だか不思議な光景で、僕に希望のようなものを感じさせました。僕にもう少し余裕があれば、恐ろしい存在から身を隠し逃れつつ、遥か遠くの光を求めて走る主人公のような気分を楽しむことができたかもしれません。

 

もちろん今から山を超えるわけにもいかないので、普通に帰宅コースに入ります。僕の住んでいる町は盆地にあります。山々の谷間にひっそりと佇む町です。Googlemapで見るとまじで山の中です。緑一色です。ここまで緑だといっそ清々しいくらいです。山を降りて僕の前に現れたのはそんな寂れた町の町並みでした。ですが、山の暗さを体験した直後の僕は、点々としか灯っていない街灯や、時折通り過ぎる車のヘッドライトを見て、おそらく夕食後であろう民家から聞こえてくる団欒の声を聞いて、すごくほっとしました。人工の明かりや人の声がとても安心できるものであるように感じました。人間がなぜ文明を求めてきたのかがちょっと分かったかもしれないとか思いました。同時に、昔の人が山を神とあがめ、夜空の星に思いを馳せ、太陽を有難がった気持ちも少し分かったような気がしました。それらにはたぶん、暗闇に対する人間の根源的な恐れや、自分たちをすっぽりと飲み込んで支配してしまう自然への畏敬の念も含まれていたのでしょう。なんだかおそれに関することばかりですが、何しろ怖い体験をしてきたばかりですから、そこのところはご容赦ください。

 

家に帰ると、シャワーを浴びて押入れに引きこもり、ドラえもんごっこをしながら日記を書きました。

 

 

 

「いかがでしたか?」で〆る系クソ記事とクソの再生産

比較的最近ブログを始めた人は恐らくああいうクソ記事を雛形にしている。
だからクソみたいなブログ記事が量産される。
 
クソ記事は書き手だけでなく読み手にも影響を及ぼす。
比較的最近ネットで文章を読み始めた人は恐らくああいうクソ記事に接触する。
クソ記事を読んで「ネットの記事とはこういうのがスタンダードなのか」と認識する。
クソ記事を摂取して育った読み手はやがてクソ記事ブックマーカーとなり、クソ記事にブックマークが集まる。
だからホッテントリがクソ記事で溢れる。
 
はてなブックマークホッテントリはクソ記事の再生産を促す。
人々はクソ記事を摂取し、クソ記事を再生産し、クソ記事がスタンダードとなる。
やがてクソ記事をクソ記事と認識する者はいなくなり、世界はクソで満たされる。
 
しかしこの構造は再帰的なものだ。
現在クソ記事でないと思われている記事がかつてのクソ記事であった可能性は十分に考えられる。
つまり、私はかつてのクソ記事がスタンダードであると認識しており、かつてのクソ記事を摂取して育ち、現在進行形でかつてのクソ記事を再生産しているということだ。
世界はとっくにクソで溢れており、世界は開闢以来クソを再生産し続けていたのである。

毎年この時期になると体調を崩す

完全に冬になってしまえばましになるんですけどね。

季節の変わり目はむずかしいです。

そしてこんなこと書いてる暇があったら回線切って寝ろという天からの声が聞こえてくるので寝ます。

おやすみなさい。

隣の部屋がくっそうるせーので壁ドンしたいけど壁が硬すぎて出来ない

さっきから隣の部屋で

「ぴんぽーん」

「どうぞー」

「おーっすげんきー?」

「あ、先輩ちーっす!」

みたいな会話が聞こえてくる。

 

いやいやどうぞーじゃねえよ今何時だと思ってんだよ。先輩もこんな時間に来てんなよ。一応このアパート鉄筋コンクリート造だけど、案外音響くよ? 俺があまりにも静かに生活してるから(というかほとんど大学にこもってるから)気づいてないのかもしれないけどさあ。学生アパートだし仕方ない部分もあるかもしれないけど、ちっとは気つかってよ。苦情来てますってチラシ配られたり張り紙されたりしてたでしょ。君らのことだよ。

まあ俺には耳栓x10があるから耐えちゃうんだけどね。俺こういういじらしくてかわいい奴だからね。お前らなんぞに俺の精神の安寧は乱させねえからね。ふんだ。

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美少女をひらがなで書くとやばい

美少女って字面だけみたらものすごい美少女だけど、

びしょうじょ

ってひらがなで書くと

(ん?)

ってなって、

びしょ うじょ

って離して書くと

 

んんあああああ!!!

 

ってなる